| 売上の一部が活動資金となっています。 |
- ☆日本ラプラプ友好協会の設立から今に至るまで
- 日本ラプラプ友好協会(Friends of Lapu-Lapu
Foundation Society of Japan)が発足してから今年で13年目をむかえます。マクタン島、ラプラプ市を拠点として、日本ラプラプ友好財団メンバー、アーネスト
H .ウィーグル市長をはじめとする各市会議員、双方の協力を経て成り立っていました。
1521年、マゼランの率いるスペインの無敵艦隊がこのマクタン島を征服するために上陸した歴史上でも有名な「マクタンの戦い」で、マゼランはマクタンの首長ラプラプに致命的な傷をおわされ、それが原因で死に至ったと言われています。ラプラプ首長はフィリピン最初の国民的英雄として讃えられ、ラプラプの名は市の名称とされ今日に至っております。
セブ島及び、沿岸地域、近隣の島々に住む人々の健康、衛生状態を無料の内、外科医療サービスを通じて改善し、人間の衛生環境に関する非公式な教育を実施し、更に豊かな生活を送るために科学技術面の支援を日夜遂行すべく目的を掲げ、バイオテクノロジーファンデーションとの出会いをきっかけに、その活動は活発になり、活動を開始して13年間。その活動内容は数知れません。そしてその活動によって、多くの人々が国境を越えて、喜びを分かち合い、感謝や感動を生んできました。
「持つ国」と「持たない国」が少しずつ歩み寄ることによって、その距離を縮めることができるのなら、そしてお互いに関心を持ち合い、受け入れ合うことの大切さを、この友好関係を一層深めるとともに、感じてもらえたらと思います。
- ☆JYPKO財団を設立するにあたって
- 今回JYPKO( Japan Yokohama Philippine Konzern Foundation)を設立する運びになりましたのは、前ラプラプ市長がお亡くなりになられたことが大きな理由の一つです。今まで行って参りましたラプラプ友好協会の活動は変わることなく継続してまいりますが、新たな会長とメンバーを迎え、ここ数年特に力を入れて活動して参りました、ネグロス島のサンカルロス市での活動をさらに発展させるとともに、マクタン島との関係も強めていきたいという願いから、名前も新たに、活動の幅を広げていきたいと思っております。
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| サンカルロスでの活動内容 |
- ☆4月のソフトボール大会
- 2006年4月28日から3日間にわたり、第5回目のソフトボール大会が開催されました。前年度に引き続き、参加した学校は9校。それぞれの学校が一丸となって、練習を重ね、大会の日を迎えました。
今年の優勝校は昨年に引き続き、Queson(ケソン)高校でした。自信に満ち溢れた彼女たちの表情には力強いものを感じ、また来年への期待も大きいです。また参加したチームからも、それぞれにベストプレーヤー賞やミュース賞などを選出し、勝ち負けを抜きにした喜びや楽しみもありました。そして、今年度の卒業生33名には、卒業記念として置時計を贈呈しました。
この大会を通して、今まであまり交流のなかった学校同士が、一丸となって一つの事をやり遂げるということの素晴らしさや達成感を味わう事ができ、それぞれのチームの絆が深まると同時に、枠を超えた助け合いの精神が生まれたのではないかと思います。 この場を借りて、ソフトボール大会の参加校のスポンサーである、Queson高校スポンサー佐藤裕美さん、Central
Negros Collegeスポンサー佐藤和也さん、Julio Ledesma高校スポンサー伊藤健一郎さんに、感謝の意を表したいと思います。
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- ☆トイレの寄贈(2月の渡比)
- ネグロス島・サンカルロス市は美しい海に囲まれ、どこまでも青く、そして澄みきった青い空がさらにその広さを強調し合って開放的です。
今回は、その美しい海を隔てて、ボートで15分程の所にある離れ小島、スーパーワイの学校にトイレを建設するという計画を進める目的がありました。当初は、昨年11月に行われたソフトボール大会において「もしスーパーワイが優勝したならば学校にトイレを寄贈する」という約束のもと、スーパーワイの子供達は全力で頑張りました。しかし結果は残念ながら上位入賞はなりませんでした。
今回、初参加であったスーパーワイの子供達は全力でやり遂げたというだけで、参加した意義は充分にあります。それでも残念ながら、結果を変えることは出来ません。そんな子供達の落胆する姿をみかねた村田氏は、子供達の頑張った結果を讃えて、トイレを寄贈することにしたのです。
「学校にトイレがない」ということを、まず想像してください。では、子供達はどこで用を足すのでしょう? 答えはanywhere(どこでもいい)です。
7歳〜16歳位の子供達が約600人程通う大きな学校にトイレがないという現実。どんな状況か、今こうして豊かに暮らす私達に想像するのは容易い事ではありません。
スーパーワイを訪問すると、ソフトボールチームの子供達が歓迎してくれて、歌を唄ってくれました。最初は恥ずかしがっていた彼女達も、少しずつその表情を和らげ、次第に笑い声が聞こえ、質問を投げかけてくるようになりました。
村田氏が学校長及び先生達と話し合っている間、私は16人の子供達と、お互いの言葉を教え合い、島から出たことのない子供達にとって、未知の世界である海外の話をしたりと、およそ2時間程の楽しい時間を過ごしました。完成するトイレの壁面には、この栄誉を勝ち得たソフトボールチーム16名の名前が刻まれる事になっています。
- ☆トイレ寄贈から完成まで(3月の渡比)
- 2月にスーパーワイを訪問してから1ヶ月がたちました。4月の卒業前に、トイレを完成させたいという思いもあり、3月21日およそ1ヶ月で予定どおり工事は順調に進み、トイレは完成しました。
1ヶ月ぶりに訪れたスーパーワイで、私達を待っていたのは嬉しいサプライズでした。トイレ完成をお祝いするセレモニーが用意されていて、それを知らなかった私達にとって、それははなんて嬉しいプレゼントだったことでしょう。
ソフトボールチームのメンバーとミス・スクールが中心となって進められたそのセレモニーで、子供達は唄い、踊り、笑い、その少し恥ずかしそうな笑顔はとてもかわいく、私達はとても楽しい時間を過ごしました。
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| 子供達へのサポートや地域の活動 |
- ☆勤労学生へのサポート内容
- 高校を卒業し、短大(college)へ進学したくても貧しいためにそれを断念せざるおえない子供達がたくさんいます。サンカルロスにあるCNCでは、そういった学生のために、学校で働く代わりに授業料を免除する制度があります。現在CNCにはこういった働きながら学ぶ学生が6人います。彼等は朝8時から夜21時まで働きながら、夜間学びます。JYPKOでは、彼等のユニフォーム、学用品、交通費のサポートをおこなっています。
- ☆ ウァーキング スチューデント(勤労学生)
- ハイスクールを卒業して16才。日本で言うと高校1年が終了した。彼女達いわく最低カレッジ(2年間)を終了しないと(日本でいう高卒となる)仕事にはありつけないと。彼女達が勤めるハイスクールの今年の卒業者は280人、その内20%しか上 のカレッジで学べず、そのほかほとんどが両親に仕事なく授業料が払えないという。そして仮に入学出来ても3ヶ月後には 数十人が学費が払えず休学するという。こうした中で、幸運な事に彼女達6名は、成績優秀、素行良好により卒業した学校にて朝8時から夕方5時迄、無報酬にて働き、その代わりに夕方6時から10時まで、カレッジ(授業料免除)で学べている。夢の教師になるために・・・!そうした先輩達の中には、すでにカレッジを卒業して、その学校の先生になっている者が数名 いる。しかしこんな非常に恵まれた中でも、問題はある。日々の生活費である。家から学校へ通うには交通費や昼食代も必要であり、ある学生は、通学に1時間30分かかる。よって、学校の近くで下宿(ボーディングハウス)一部屋4畳位の部屋に2段ベッドが2つ、4人相部屋で350ペソ(700円)を利用している。時には、そんなお金さえ払えないという。ある時、その6人の学生を夕食に招待した時のことである。レディスドリンクとして赤ワインがテーブルに並べられ、普段はほとんアルコールを口にしない私を真似て、皆がそのワインを飲み始めたのである。「君達は飲めるのか?」と聞くと、学生の一人が、「今まで一度たりとも飲んだことはない。でも、もし飲まなければ、招待をしてくれた方に申し訳ないし、飲むことが良いマナーであると思う。」と言う。数分後、彼女達は顔を赤らめ、少し眠いという。生まれて初めて飲んだワインで目も少し回り、久しぶりにもう食べれないという程に沢山食べた。年頃のダイエット感などすっかり忘れていたことだろう。彼女達は、とにかく勉強したい、そして卒業をして念願の教師になって、一日も早く両親や兄弟を援助したいという。3月後半の卒業式から6月の初旬の新学期まで、フィリピンは真夏、とにかく暑い。だから学生は夏季休暇に入るが、この6人には休みはない。休みを望むことは、将来を失うとにつながる。ネグロス島・サンカルロス市のセントラルネグロスカレッジにて学ぶウァーキングステューデント6名への援助は、この6月で早1年を経過した。
- ☆小学1年生10人の奨学金によるサポート
- 6月から新学期が始まります。学びたくても家庭が貧しいために学校に行く事の出来ない子供達がたくさんいるというのが現状のフィリピン。これからたくさんの可能性を秘めた子供達に、その可能性を大切にしてもらいたいと思い、今年から小学1年生(7歳)に進学する子供達10人の学費面でのサポートをスタートします。この子供達が、たくさんの事を学び、笑い、大きく成長してくれる事を願っています。
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- ☆ピノイジャイアンツ(バスケットボールチーム)
- ハイスクール(13〜16才の4年制)、そして今年卒業した3名の内1人はカレッジに、他の二人は、家が貧しく、学校には行けず只今仕事を持っているという。このメンバーは基本的に勉強は嫌いで、あまり学校には行かない。では「何をしているのか?」問うと、セメンタリーガードだと言う(お墓の監視)。フィリピンは土葬、埋葬時には花、食べ物等々が供えられる。儀式が終わりそれらの人が帰った後に、その供え物を相伴に預かるという。日々誰かしらが待機しており、埋葬があるとその他のメンバーに伝えて、仲良く食にありつく。そもそも、このメンバーはセブ島のスタッフ・ロースンをお姉さんと慕ってきたのが始まりで、いつの間にか15人に膨れ上がったという。フィリピンは、バスケットボールがとにかく盛んで、プレーヤーは花形、女の子にはもてるという。そんな中で彼らと初めて会った時、何故か野球が大好きだと言う。早々練習をみたが、なるほど皆うまい。それではと、野球チームを作ると約束をして別れた。日本に戻り、仕事もろくにせずにあれこれと考えた。チーム名は?ユニフォームの色は・・・?等々。メンバーは年齢的にも栄養素的にも何しろ小さい。でも夢、希望は大きく、2ヶ月後、彼らと再会し一生懸命考え抜いたチーム名を伝えた。フィリピン人=ピノイ(小さいイメージがある)ジャイアンツ=日本では最強の球団でとても有名だと。そこで「ピノイジャイアンツ」と命名した。子供達は手をたたいて大いに喜んだ。次回は念願のユニフォームを作るので、デザインを考えておく約束をして別れた。そして再びの訪比、しかし彼等の姿はない。お姉さん役のロースンいわく、スポーツに熱中する前に先ずは学校に行き、しっかりと勉強をして親や友達に迷惑をかけないと約束したのに、相変わらず学校をサボってフラフラしているので、反省をさせるべく家への出入りを禁止しているとの事。少々がっかりして帰国した。翌月再訪比、子供達の出入り禁止は解けており、全員が「兄貴ソーリー」と頭を下げた。ところが彼等いわく本当はバスケットボールが好きでしたというのだ。わずか数ヶ月のうちに野球からバスケットボールに変わった。それ以上に彼等全員の礼儀正しさの変わり映えに目を疑うと同時に、何ゆえかすごく嬉しいものがあった。早々彼等の希望する色、デザインでユニフォームを作る。数ヵ月後、村の対抗試合に出来立てのスカイブルーのユニフォームを着て、鼻高々と参加、3勝して、4戦目で敗退する。その報告をする彼等の一人ひとりの目の輝きが今も心に深く焼きついて離れない。ピノイジャイアンツ、またひとつ新しい仲間が増えた!若い小さなエネルギーが!!
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